「沈黙の塔」「食堂」(鴎外全集第7巻所収)【#図書館員の気になる一冊】
今年は森鴎外(1862~1922)の生誕160年・没後100年にあたります。文庫本の読書フェアなどでも必ず一冊や二冊は選ばれているのですが、夏目漱石に比べると少し地味で固い印象があるかもしれません。また、鴎外が生涯官僚として勤め上げたのに対し、漱石は国民的作家として、(お札の肖像画にも選ばれ)、その存在が広く親しまれていたということがあるかもしれません。ところで、鴎外と聞くと、どんな作品を思い浮かべますか?教科書で『舞姫』に出合った方もおられるでしょう。あるいは、安寿と厨子王の『山椒大夫』でしょうか。はたまた『ヰタ・セクスアリス』でしょうか。多くの出版社の文庫でも読めるのですが、そのタイトルは限られているようです。
鴎外の60年の生涯には、大きな事件・出来事が二つありました。1910年の大逆事件、1912年の明治天皇の死去をあげることができるでしょう。
前者は、幸徳秋水をはじめとした社会主義者、無政府主義者の逮捕、検挙、処刑にいたる弾圧事件でした。鴎外を軍医の最高職である陸軍省軍医総監に引き上げた庇護者山縣有朋の意を受けた桂太郎内閣の言論弾圧政策に対し、国への忠誠と、文学者としての抵抗という微妙な立ち位置のバランスが崩れる引き金になった事件でした。
弾圧する側と擁護する側双方から相談を受ける立場にあった鴎外の真意はどうであったのでしょうか。この大逆事件といういろいろな意味で、世情を震撼させた事件をめぐって、鴎外は『沈黙の塔』と『食堂』という小説で自己の真意を表現しようとしたようです。『沈黙の塔』は、「どこの国、いつの世でも、新しい道を行く人の背後には、必ず反動者の群がいて隙を窺っている。そしてある機会に起って迫害を加える。ただ口実だけが国により時代によって変わる。危険なる書物もその口実に過ぎないのであった。」と結ばれているのですが、『食堂』では前者の直截で強い難詰がやや穏当になりながら、どちらの側にも送るメッセージ性が垣間見られます。単純でわかりやすいことばがもてはやされ、思考に値しないことばが弄ばれ、消費される現在に、その思いは届くでしょうか。
(いぬい そういちろう)
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